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2020年度卒業論文/ゼミ論文製作用レポジトリ
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フィールドでの文献調査 #3

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2019年1月19日

1. 調査計画・目的

調査計画書作成のための下調べとして、サイアム博物館で資料を探した。

2. 実際の調査過程

当初はフィールドワークを想定して出掛けたわけではなかったので、そもそも調査計画を立てていなかった。後になって写真や記録を残しておくべきだったと反省した。

3. 今回の調査で明らかになった事実

タイ人の信仰に関して(気になったので、唯一写真を撮っていた) “THAI BELIEFS” Thai beliefs can ether complicated or really simple. Our culture based on a brief in animism, or belief in the spirit world. That belief is fused seamlessly with Buddhism and Brahminism. Thai beliefs are a result of this combination. Today, we still invent new beliefs based on old ones. Even Japanese anime characters and even some dolls can become sacred items. That’s what Thai beliefs are all about. See it to believe it.

4. 今後の展望・調査計画

何をもって「信仰」「祈り」とするか? 今後、文献調査や聞き取り調査を通じて定義付けを行う必要がある。

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2019年3月5日

1. 調査計画・目的

『タイを知るための72章(第2版)』(明石書店)を読み、タイ人の信仰について文献調査を行う。特にマッピング中によく目にした、いわゆる「スピリットハウス」とその機能について明らかにする。

2. 実際の調査過程

計画通り実施

3. 今回の調査で明らかになったこと

文献: p176-177

“スピリットハウス”の分類について

スクリーンショット 2020-11-15 4 10 13

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2019年3月31日

担当教員との相談・報告を行なった。

2019年4月1日、4月2日

1. 調査計画・目的

聞き取り調査に基づいて、文献調査を行なった。

2. 実際の調査過程

計画通りに実施した。

3. 今回の調査で明らかになった事実

これまでの調査から、タイの人々が信じるもの・ことには、そのカオスの中にもヒエラルキーが存在していることがわかった。以下の図は、これまでの文献調査および聞き取り調査をもとに、独自に作成したものである。

図1

しかしながらこの文献を読んだことで、上記のピラミット構造のみでは説明のつかない、「仏教」と「仏教以外の信仰」の関係性が見えてきた。「ラーマ4世~6世の治世下のタイは、欧州列強の厳しい植民地主義にあえいでおり、国家主権の維持存続のために、近代化政策を推し進めていた時代である。宗教に関しても同様である。また、西洋の近代宗教であるキリスト教が「自己」と「他者」、「キリスト教」と「キリスト教ではないもの」という境界が区別されていたのに対して、それまでのタイの宗教はそうではなかった。仏教サンガの整備、正統的教理の確立など宗教の近代化の過程で、「仏教」と「仏教ではないもの」という明確な区別がもたらされた。この過程でピー信仰は「仏教ではないもの」として扱われ始めたのだが、排除されたわけではなく仏教中心の秩序のもと周縁に配置された。文献中で考察されていたナン・ナークの物語は、仏教信仰の優位性が窺われていたと同時に、仏教がピー信仰の存在を受け入れ、それを正統仏教のエレメンツとして取り込もうとしていた様子が窺われる」と書かれていた。

図2

仏教の国教化の過程≒呪術の衰退と忌避(林, 1889)

4. 考察

近代化の過程で上記のような「仏教」と「それ以外」の周縁化の過程について学んだが、現代のタイの人々の信仰心はどのように形作られていくのかについては明らかにできていない。仏教に関しては家族の信仰背景や学校教育がその役割を果たしているのだろうと推測した。一方、ピーなどの「仏教以外」はどのようにして今日まで信仰が引き継がれてきたのか、さらなる調査が必要である。おそらく、公立校の学校教育で仏教以外の宗教教育をすることはほぼないのではないだろうか。

5. 今後の展望・調査計画

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2019年4月14日

担当教員との報告・相談を行なった。

2019年4月24日

1. 調査計画・目的

前回に引き続き、聞き取り調査に基づいた文献調査を行なった。

2. 実際の調査過程

計画通り実施

3. 今回の調査で明らかになった事実

津村(2002)の論文から明らかになったこと

「異常死」の概念(p.28「ピーと異常死を巡る信仰」より)

図1

ポンサピタックサンティ(2016)の論文から明らかになったこと

椋橋(2017)の文献から明らかになったこと

全ての文献から明らかになったこと

図1

図2

上記の図は、前回の調査記録に記載したものと同様のものだ。第4回目の文献調査(綾部真雄編『タイを知るための72章【第2版】』p.176-177 石高真吾によるコラム)をもとに描写した「仏、神々、精霊」のピラミッド図に、2名の友人による聞き取り調査で得られた情報を付け加え、独自に作成したものである。また、第7回目の調査(津村文彦「ナーン・ナークの語るもの-タイ近代国家形成期の仏教と精霊信仰」p.36-38)から、タイの宗教は近代化の過程で「仏教」と「仏教ではないもの」の明確な区別がもたらされ、「仏教ではないもの(ピー信仰)」は仏教の周縁に配置されたということはすでに記した通りである。これまでの調査で幾度となく「ピー信仰」あるいは「ピー」について記してきたが、ここで改めてピーが一体どういう存在であるのか、今一度整理しておきたい。

図2

ポンサピタックサンティはピーの定義を「精霊やカミにあたる超自然的存在」とし、それが意味するところは「土地・家・集落空間の守護霊、祖先霊、田畑や山川草木の霊、幽霊・悪霊等様々である」としている。また、「ピーの存在は人間の価値基準で決められるものではなく、気まぐれでいたずら好きであり、彼らのやりたいように行動する」という。ピーの概念は曖昧な点が多く、バラモン・ヒンドゥー的な要素とも合わさっているため、「ピー」単独で用いず、妖怪的なもの、神的なもの、土俗的なもの、外来的なもの全てを包摂したものとして「ピー・サーン・テワダー」という言葉を用いるそうだ。また筆者は、農村部ではピーが「土地神や先祖霊、守護霊といったカミ的な側面や妖怪・幽霊としての存在を含む多面的なイメージで理解される」のに対して、都市部では幽霊や悪霊が連想されるとしている。以前の聞き取り調査で、FさんやSさんが「ピーはお化けであり、人々に悪さをする存在」だと答えてくれたことを思い出す。彼女たちにとってのピーは筆者の記した通り「幽霊、悪霊」であると言えるだろう。改めて、Fさん、Sさん、Nさんに「ピーのイメージはどこから得ているのか」とインフォーマルな聞き取りを行ったが、「映画やテレビドラマで様々なピーの存在を知った」という返事が返ってきた。Nさんは、「幼い頃からピーに関する話が好きで、小学生の頃はそういった絵本をよく読んでいた」とも答えた。Nさんはピー好きなタイ人の中でもとりわけその類の話に詳しく、よく関連するドラマや映画、ミュージカルを紹介してもらっている。比較的呪術的な風習の残る東北地方の出身ということも関係しているのだろうか。 さて、論文の筆者は、特に都市部では若者の宗教離れが進んでおり、自然との関わりも薄くなったことで、カミ的な信仰が薄くなったのは止むを得ないと述べている。一方で、都市農村を問わずホラー映画やテレビドラマが人気であり、その題材は悪霊および幽霊としてのピーである。そのため、都市部の若者たちのピーのイメージが幽霊や悪霊であるのだと記している。 アヌモーンラーチャトン(1979)は、「ピー・サーン・テワダー」が善霊の総称であると定義づけているのに対して、悪霊の総称は「プレート(餓鬼)」に該当すると述べている。

生活の中でのふとした気付きと、インフォーマルな聞き取りで得た情報

左の写真は、チェンマイのショッピングセンターMAYAを歩いていたところ、店内の美容クリニックで見つけた神棚である。仏像が一番上に設置してあり、その下の2段にヒンドゥー由来の神々、さらに下の段にはルーシーと人物像(※要確認)が置かれている。右の写真は、バンコク南バスターミナルの待合室に置かれていた神棚である。上部に仏像三体、その下に人物像(※要確認)と精霊(以前、友人との会話の中で精霊の名前を聞いたが失念。片手を招き猫のように挙げているのが特徴で、招き猫のように商売繁盛の意味合いがあるのだとか。詳しくは改めて記述する。)、それから高僧の像が置かれ、一番下の段には石のようなものが供物と共に置かれている。これまで図に表してきたような信仰のヒエラルキー(?)が、これらの神棚の構成に具現化されているように感じた。

4. 考察

津村(2002)の論文からの考察

ポンサピタックサンティ(2016)の論文および、学生へのインフォーマルな聞き取りからの考察

「ピー・サーン・テワダー」と総称されるようなピーへの信仰は、特に若者にとってはマスメディアによって培われる要素が大きいとわかった。ただ、それがどのように機能しているかという点については、まだ明確に言葉にできない点が多い。また、ポンサピタックサンティは論文の終わりに、「論文中には記していないが、アンケートの中に『現代社会に精霊信仰は必要だと思うか』という項目を入れた。それに対し、約7割の回答者が必要だと答えた」と記している。筆者は「仏教教育が盛んであるタイでは、若者は日本と比べて、より宗教や超自然的な事柄について深く考えているのかもしれない」と考察を立てているが、これに関しては私もさらに聞き取り調査を進めたいと思う。 3月30日に桑野先生とフィールドトリップでお会いした際、ピー信仰について少しお話をしたのだが、先生は「結局のところ、ピー信仰は御利益信仰なのですよ」とおっしゃった。「御利益信仰と言えばそうなのかもしれませんが…」と生意気にも口にすると、先生はこう付け加えた。「法律や規範を作ってそれを人々に従わせようとするよりも、『ピーが住んでいるから』『ピーが悪さをするから』とピーを理由に禁則を設けた方が、人々の理解が得られやすかったのではないか」との返事をいただいた。ピー信仰がコミュニティの規範としての働きを担っていたとして、それが現代の学生たちにもどの程度通用しているのだろうかと考えた。これまでの学内での観察や聞き取りを振り返ってみると、結局のところ学業や恋愛の成就など「御利益信仰」に帰結してしまった。規範としての機能についても、今後の調査で掘り下げたい。

椋橋(2017)の論文から考察したこと

「出家仏教」と「在家仏教」の概念は、これまでの調査でなかなか腑に落ちなかった点を払拭した。というのも、「神々が仏と違う点は、涅槃の領域に達しておらず欲があることだ。それゆえ、人々の願いも聞き入れてもらえる」と以前の調査で記したのだが、聞き取り調査を行っていると、願いを叶えてもらうために仏に祈るという答えが返ってきたからだ。これだと仏と神々の機能は変わらないのではないかという疑問がもたげていた。(ボンをする対象かどうかという違いはあるが…。) 以下の画像は、昨年ヒットしたドラマ"บุพเพสันนิวาส (Love Destiny)"で、祖母が仏像に孫娘の無事を祈るシーンである。 ただ、この「在家仏教」という概念が得られたことで、(僧侶か仏像かという違いはあれ)仏教に対しても現世利益的な価値観があるのだということがわかり、人々が仏に「願う」行為の意味が理解できた。また先日、実際に学生たちと寺を参拝し、タンブンと呼ばれる布施を行なったのだが、その時の詳細については次回記述する。

5. 今後の展望・調査計画

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2019年5月19日ほか

1. 調査計画・目的

仏教的価値観が学生たちの生活にどのような影響を与えているのか考察する。また、その価値観はどのように培われていくのか、インフォーマルな聞き取りおよび文献での調査を行う。また、以前の調査で追加の情報が必要だった点においても、文献での調査を行う。

参考文献

2. 実際の調査過程

計画通り実行した。

3. 今回の調査で明らかになった事実と考察

学生と仏教的価値観について

矢野秀武の文献から明らかになったこと

タイの若者たちが仏教の知識を得るのは、寺院を実際に訪れるというよりも学校教育やメディアからであると矢野は述べている。特に学校が果たす役割は大きく、タイの公立校(小・中・高)では、週に二回の宗教(道徳)の時間があり、仏教徒は仏教を学ぶこととなる。内容は学年別の教科書に即して、ブッダの来歴、基本教理、実践項目、歴史的人物を学ぶ。さらに、2002年からは教育省によって、知識教育ではなく仏教的理念に基づいた総合学習「仏教式学校プロジェクト」が開始され、2006年までに63.1%もの学校が参加している。また、仏教以外にもムスリム向けにイスラームの教科書も用意されている。

「ブンクン」と「ガタンユー」

仏教の徳目に基づいて、タイの親子関係には「ブンクン(恩義)」と「ガタンユー(報恩、特に親孝行)」の観念がある。子どもは育ててくれる親から恩義を受けるので、それに報恩する義務を負う(津村、2018)というものだ。平松(2018)はガタンユーこそが最高善の一つではないかと述べ、タイ映画やテレビドラマに描かれるガタンユーについて論じている。また、以前の文献調査で、ポンサピタックサンティ(2016)が、バンコク中心部の大学生は精霊に関するイメージをテレビや映画から得ることが多いと述べていたが、仏教的価値観についてもある程度同様のことが言えるだろう。 これらから連想した友人とのやりとりがある。2019年3月23日、誕生日を間近に控えたFさんがアユタヤの寺院を参拝するのに、私も同行させてもらったときのことだ。Fさんはある寺院で、お金を払って仏像に袈裟をかけるというタンブン(徳を積む行為)を行った。私が彼女にそれを行おうと思った理由を尋ねると、「両親は私を育てるためにたくさんのお金をかけてくれた。私が今ここで寄付をして仏像に袈裟を巻き、お参りをすることで、いつかそのお金が巡り巡って両親の元へ戻ると信じている」と返ってきた。まず、誕生日に寺を参るという行為それ自体が、仏教的価値観であるというのが大前提として言えるだろう。また両親のために行ったタンブンは「ブンクン」や「ガタンユー」の価値観よるものだと考えられ、さらに「徳が巡り巡って(両親のもとに)返ってくる」という彼女の考えは、仏教の「業」の価値観に根ざしたものであるといえよう。

カンニングと「因果応報」

ビジネス日本語学科は2016年度の入学生をもって他学科に編入された。そのため、3年生がこの学科最後の学年ということになる。そうした中、とある学生ら数名によるカンニングが横行していた。再履修させることのできない(もしくはさせたくない?)事情から先生も黙認、真面目に学業へ取り組む学生たちはもやもやとした思いを抱えていた。そんな事情を私に話してくれたあと、Bさんは「因果応報!」と日本語で言った。それに続けてFさんが「でも“応報”が遅すぎる」と苦笑いを浮かべつつ言った。私が「『因果応報』なんて言葉、どこで覚えたの!?」と尋ねると、日本文学の講義で扱った夏目漱石の『夢十夜』(第三夜)で学んだと返ってきた。「因果応報」は仏教用語であり、タイにもそれに相当する言葉や概念(業の観念)があるため、学生たちも馴染みやすかったようだ。「因果応報」という言葉はグループの中でしばらく流行した。そういえば当時流行していたチャンネル3のドラマ“กรงกรรม / Krong Kam”は、タイトルを日本語に訳すと「因果応報」になるのだとNさんが教えてくれた。ちなみに、仏教用語がタイトルになっているにも関わらず、物語中での嫁と姑の愛憎劇を引き立てていたのは、タイに息づく黒魔術であった。

K-POPファンと「タンブン」

FさんはK-POPグループEの熱心なファンである。最も好きなメンバー・Sの誕生日に際して、彼女は他のファンとともにあるプロジェクトを立ち上げた。メンバーの誕生日やデビュー日といった記念日にファン同士が協力して何かをすることは、アジア各国のK-POPファンの間でよく行われる行為である。例えばバンコクを走るBTS やMRTの駅の広告コーナーには誕生日を祝うためのアイドルのポスターで溢れているが、これもプロジェクトの一環であるとFさんは言う。しかし、Fさんが発案者となったプロジェクトは他の国のプロジェクトとは少し異なっていた。ファンから一定の金額を集めて何かを行うという点は他のプロジェクトと同様だが、彼女のプロジェクトは「Sのファン」という名義で、集めたお金を障害のある犬の保護施設へ寄付するというものだった。事前に施設を視察して計画を練ったそうだ。お金を寄付したファンには特典として2種類のカード(“マスター”と呼ばれる追っかけファンの撮影したSの写真が載ったカード、イラストレーターによるSの似顔絵が載ったカード)が配られた。「こうしたプロジェクトはタイでよく行われる」とFさんは話す。さらに彼女は、「駅の広告を出すには小さいものでも6万バーツほどかかる。同じ額を遣うのならば、より社会に貢献できる形で誕生日を祝いたかった」と続けた。そもそも、このようなプロジェクトは「メンバーにファンの存在をアピールするために行う」のだとFさんは説明する。私は、自分自信が徳を積むだけではなく、そのアイドル自身にも徳が巡って来るようにこうしたタンブンとも呼べるようなプロジェクトが行われるのではないかと推測したが、そのようなことを意識して発案したわけではなさそうだった。しかしながら、こうしたプロジェクトがタイで根付いていることを考えると、無意識下で仏教的観念の影響を受けているのかもしれないとも考えた。

齋藤(2017)の文献から明らかになったこと

呪術とは、「超自然的存在に訴えかけることで、ある目的を実現しようとする行為」だとしている。タイの都市部の若者たちの間で盛んに行われている「占い」や、一般的な「願掛け」についても、呪術の一つであると記している。このように、現代社会においても呪術が一定の影響力を持っているとし、それが一種の「信仰」として残っていると述べている。さらに、このような呪術は現代社会においても、「(科学では解明できない)日常と現象を解釈する」、さらに「何か将来の出来事を成就させたい場合にも科学は結果をもたらすことはできない」ため、「恋愛において超自然的存在に対して訴え、操作し、結果を得ようとする行為は、これからも存在していく」と記述している。

これまでの調査で登場した用語

用語に関しては、津村文彦(2015)『東北タイにおける精霊と呪術師の人類学』のp.289-292用語解説、およびプラヤー・アヌマーンラチャトン(1979)『タイ民衆生活誌⑴』のp.247-300「<附編>精霊・妖怪・魔人の世界=ピー・サーン・テワダー=」を参照した。