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図1: 学生の考える信仰対象のヒエラルキー
図2: 仏教の「近代化」→仏教以外の周縁化(津山,2002をもとに作成)
上座部仏教は本来、自己の修行によって自己のみが救われるという性格を有している。出家仏教が上述のような性格を持つのに対して、在家である一般の信者はそのような僧侶のもとへ赴き、タンブンという托鉢や布施などの行為を通じて徳を積むことで信者自身または周囲の者の現世での幸せを願う(石井、1999)。この文献通り、学生の間で仏は唯一涅槃の領域に達した存在というよりも、より世俗的とされる神々と同様に現世利益的な存在としても機能していることがわかった。ただし、神々に対しては「〜を叶えてくださった暁には〇〇をします」というような契約(ボン)が結ばれるが、仏に対してそれは行われない。 仏教的価値観は、学生の私生活にも影響を与えていた。例えば、「ガタンユー」(報恩、特に親孝行の意)はタイ仏教の徳目の一つであり、平松(2018)はこれが最高善の一つではないかとすら考えている。誕生日を控えた女子学生とアユタヤの寺院を参拝した際、彼女はお金を払って仏像に袈裟をかけるというタンブンを行った。彼女にそれを行おうと思った理由を尋ねると、「両親は私を育てるために多額の費用が必要だったはず。私が今ここで寄付をして仏像に袈裟を巻き、お参りをすることで、いつかそのお金が巡り巡って両親の元へ戻ると信じている」と返ってきた。
カセサート大学構内の2大祈りのスポットとして、大学のシンボルである雨の神プラ・ピルン像と、大学の設立に貢献した3名の父の像があげられる。前者がヒンドゥー由来の神々なのに対し、後者は実在した人物である。王様や国の英雄など功績を残した人々のことは、彼らの死後も尊敬したり愛したりする。それでタイの人々は彼らを信仰の対象にするのだと学生は説明してくれた。どちらもボンの対象であり、特にテスト期間前後には赤い供物で溢れかえっていた。また、像の横を通る際、合掌する学生や教職員の姿もよく目にした。
ポンサピタックサンティ(2016)はピーの定義を「精霊やカミにあたる超自然的存在」とし、それが意味するところは「土地・家・集落空間の守護霊、祖先霊、田畑や山川草木の霊、幽霊・悪霊等様々である」としている。ピーの概念は曖昧な点が多く、バラモン・ヒンドゥー的な要素とも合わさっているため、「ピー」単独で用いず、妖怪的なもの、神的なもの、土俗的なもの、外来的なもの全てを包摂したものとして「ピー・サーン・テワダー」という言葉を用いるようだ。(上記の図1「講義の意味でのピー」に該当)。ただし、都市部ではピーのイメージは、幽霊や悪霊といったものに変わっており、インタビュイーたちもピーのことを「人々に悪さをするおばけ」だと考えていた。ピーに対しては供物を捧げることも、尊敬の念もないと学生は話す。
津村(1999)によると、タイには「異常死」の概念があり、異常な死を遂げた者は成仏できず、「ピー」になるという。これは大学の怪談においても同様で、学内で死者が発生した場合、学生たちは真っ先に「怖い」という感情を抱くようだ。タマサート大学にはかつての学生クーデターや虐殺事件にまつわる怪談話が多くあるそうだが、このような怪談話は単なる娯楽というよりも、「事件の存在を語り継ぐ」という機能があるのではないかと仮説を立てた。 また、迷信やジンクスというのも各大学に存在する。例えばチュラロンコン大学では、テスト期間中にナーガの写真を撮ると単位を落とすという迷信があるそうだが、カセサート大学ではテスト前にオオトカゲを見るとFをとるというものだった。これは本気で信じている学生はほとんどいないようであった。
仏教、ヒンドゥー由来の神のみならず、中国由来の観音や、日本の神社で売っているようなお守りまでもがご利益があると信じられている。「信仰は各々の文化的背景や家族の信仰によって形作られる。けれど成人したら、これから自分は何を信じて生きるのか、自分自身で決めなければならない」と学生は話した。「タイはその名の通り自由の国。一度も植民地支配を受けていない東南アジア唯一の国。だから私たちは自らの信じることを自分自身で選択することができる」との回答も得られた。
フィールドワーク実施概要
カセサート大学内の祈りの対象となっている場所やそれに携わる人々を調査し、それらが学生たちの生活の中でどのように機能しているのか、調査・分析した。調査方法は学内での参与観察、学生への聞き取り調査、書籍や論文による文献調査、さらに学内の祈りの対象となっている場をマッピングした。「信仰」や「祈り」と調査テーマに記しているが、本調査ではタイ語で「ササナー」と総称されるような宗教から、民間信仰、怪談や迷信に至るまで、学生の間に幅広く「信じられているもの・こと」を調査対象とした。