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The multiplicity of self: neuropsychological evidence and its implications for the self as a construct in psychological research https://philpapers.org/archive/KLEP-9.pdf
2010年、カルフォルニア大学の研究で「自己とは何か」ということを心理学、神経科学の観点から述べている研究になります。
Q.自己とは何か? 皆さんは、「自分とは何ですか?」「あなたとは何ですか?」と質問されて答えられますか?
自分について語ることや、誰かが自分のこと(私について)語ることは容易に理解できますが、 「自己」という言葉が何を意味しているのかを明確にしようとすると難しいですよね。 何世紀にもわたってこの問題が検討されてきたにもかかわらず、 「自己とは何か」を満足のいく説明をすることは非常に困難であることがわかっています。
雑誌『Self and Identity』(2009年、第8巻、第2・3合併号)の目次には、 「自己プロセス」「自己認識」「自己制御」「自己検証」「自己著述」「自己強化」「自尊心」「自己規制」「自己改善」「自己保護」「自己イメージ」「自己脅威」「自己ステレオタイプ」といった自己に関するトピックが並んでいます。しかし、このような多様な述語の対象となる「自己」とは一体何なのか、何が検証されているのか、何が書かれているのか、何が脅かされているのか、何が規制されているのか。 「自己~」を語る上で「自己」とは何か、についてはっきりとした説明をすることは、もはや心理学において 避けては通れない道なのではないかと思います。
最近の研究では、自己とは 「関連しながらも分離可能なプロセスやコンテンツの多重性である」ことが示唆されていまして、 自己とは単一の存在ではなく、自己に関する機能が複数存在しており、 それらがどのように相互作用して、現象的には単一に見えていると考えられています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (余談ですが、この考え方に至ったプロセスがおもしろくて、ある神経系の障害を抱えている患者の 認知に関するテストのパフォーマンスを調べると、ある部分では成績がよく、ある部分では成績が悪いことがわかりました。 例えば、「事実に関する知識=自分は男性である、とか自分は25歳である」といった自己認識はできているが、 自分の過去にあった出来事は思い出せない、などです。 これが、自己とは単一の機能があるのではなく、複数の機能が相互作用して、単一の自己があるように認識させているのではないか?という結論にいたった経緯みたい。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
本研究ではその「自己」に関する7つの機能を紹介しております。
**1. 【人生の記憶】:自分の人生の出来事に関するエピソード記憶(過去にあった出来事を思い出す力)
といった能力があります。 これらが相互作用することによってあたかも「自己があるように」感じるわけです。 もうすこし嚙み砕いて説明すると、 ・思い出す力 ・感じる力 ・考える力 ・それらすべてを自分が行っていると認識する力 を持っているため、単一の自己があるように感じるわけですね。
「自己とは何か?」という問いに始まり、 「結局自己なんてものはないんだよ」という結論にいたったわけですが、 この結論と同じことを言っているものがあります。
それは、般若心経です。 般若心経とは何かというと、 ・仏陀(お釈迦様)の教えをまとめた経典であり、 ・「真実や本質を見抜く力によって、悟りの境地にいたるための大切な教え」という意味がある ・ 何事にも捉われず、既存の価値観に縛られず、表面的な現象ではなく物事の本質を知ろうとすることの教え ・中心にあるのは「空」の思想で、ものごとには「実体がない(定まった形がない)」ことを意味しており、 「全ての物事は変化し続ける」そして「変化し続けるが、物事の本質(核)は変わらず存在する」ということを伝えている。
その中にはこんな言葉があります。 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄(どいっさいくやく) 舎利子 色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき) 色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)
『人は「私」というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、感情、思考という一連の知覚・反応を構成する5つの集合体(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも「私」などというものは存在しないのだ。』
何度読んでも意味が分からなかったのですが、科学的な視点から見れば 「単一の機能としての自己」は存在しないということなのではないか、ということみたい。 ある哲学者の言葉に、 『個人が感情と意志を持っているのではなく、感情と意志が個人を作り出しているのだ』 というものがありますが、まさにこういうことかと。 仏陀はこのことに気づいていたということなのでしょう。 仏陀はこのことがわかったから「苦」から解放されたと話しており、個人的にはおもしろい発見でした。
こう考えると、 ・本当の自分とは何かを考えよう! ・自己分析をしよう! などという世間のありがちなアドバイスに疑問を感じます。 しかし、自己分析が無駄か、というとそうではありません。
自己分析によってわかることは3番の要素の、 3. 【人生で起きた事実に関する意味付け】:自分の人生に関する事実の意味論的知識(ex)留学したことをきっかけに、海外に臆することなく行けるようになった、という意味付け) 【事実の把握】:自分は25歳だ、とか私は日本人だ、と認識する機能 この3の意味付けのプロセスだと考えます。 例えば、 ・この仕事をする私にとっての意味は何だろう? ・どうして私はこの仕事に就きたいと思ったのだろう? ・私がこの決断をしようと思ったのはなぜだろう? こういった自己分析を行うことで、自分の行動への意味付けができます。 意味付けができると物事が「明らかに」なりますよね。わかるということです。 人間はわからないことが不安ですし苦痛になります。 しかしそこの意味付けができることで「わかる」「明らかになる」ため、不安が晴れて 自分自身の選択や決断に理由が持てるようになります。
その選択が時には「自分らしさ」という感覚を生むことにもなるでしょう。 (何度も言いますが、自己という単一の機能が存在しない時点で、自分らしさというものも幻でしかないのですが。) なので自分探しの旅に出る人がたまにいますが、これは大きな検討違いなのですね。 つまり、 自分らしさは「自分の決断や選択」によって生まれる(決断や選択の解釈によって自己を作り上げている)のであって、 「本当の自己」というありもしない存在が、決断や選択をしているわけではないのです。
自分とは何か?といった自己に関することで悩んだ時には この考え方に立ち戻ることで、少しでも心が楽になれば幸いです。それでは。
0. 論文タイトル・URL
The multiplicity of self: neuropsychological evidence and its implications for the self as a construct in psychological research https://philpapers.org/archive/KLEP-9.pdf
1. その論文の目的・どこのリサーチか
2010年、カルフォルニア大学の研究で「自己とは何か」ということを心理学、神経科学の観点から述べている研究になります。
2. (先行研究とこれまでの問題)
Q.自己とは何か? 皆さんは、「自分とは何ですか?」「あなたとは何ですか?」と質問されて答えられますか?
自分について語ることや、誰かが自分のこと(私について)語ることは容易に理解できますが、 「自己」という言葉が何を意味しているのかを明確にしようとすると難しいですよね。 何世紀にもわたってこの問題が検討されてきたにもかかわらず、 「自己とは何か」を満足のいく説明をすることは非常に困難であることがわかっています。
雑誌『Self and Identity』(2009年、第8巻、第2・3合併号)の目次には、 「自己プロセス」「自己認識」「自己制御」「自己検証」「自己著述」「自己強化」「自尊心」「自己規制」「自己改善」「自己保護」「自己イメージ」「自己脅威」「自己ステレオタイプ」といった自己に関するトピックが並んでいます。しかし、このような多様な述語の対象となる「自己」とは一体何なのか、何が検証されているのか、何が書かれているのか、何が脅かされているのか、何が規制されているのか。 「自己~」を語る上で「自己」とは何か、についてはっきりとした説明をすることは、もはや心理学において 避けては通れない道なのではないかと思います。
最近の研究では、自己とは 「関連しながらも分離可能なプロセスやコンテンツの多重性である」ことが示唆されていまして、 自己とは単一の存在ではなく、自己に関する機能が複数存在しており、 それらがどのように相互作用して、現象的には単一に見えていると考えられています。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー (余談ですが、この考え方に至ったプロセスがおもしろくて、ある神経系の障害を抱えている患者の 認知に関するテストのパフォーマンスを調べると、ある部分では成績がよく、ある部分では成績が悪いことがわかりました。 例えば、「事実に関する知識=自分は男性である、とか自分は25歳である」といった自己認識はできているが、 自分の過去にあった出来事は思い出せない、などです。 これが、自己とは単一の機能があるのではなく、複数の機能が相互作用して、単一の自己があるように認識させているのではないか?という結論にいたった経緯みたい。) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
3. その論文の目的(具体的に)
本研究ではその「自己」に関する7つの機能を紹介しております。
4. 結果
**1. 【人生の記憶】:自分の人生の出来事に関するエピソード記憶(過去にあった出来事を思い出す力)
といった能力があります。 これらが相互作用することによってあたかも「自己があるように」感じるわけです。 もうすこし嚙み砕いて説明すると、 ・思い出す力 ・感じる力 ・考える力 ・それらすべてを自分が行っていると認識する力 を持っているため、単一の自己があるように感じるわけですね。
6. 結論・まとめ
「自己とは何か?」という問いに始まり、 「結局自己なんてものはないんだよ」という結論にいたったわけですが、 この結論と同じことを言っているものがあります。
それは、般若心経です。 般若心経とは何かというと、 ・仏陀(お釈迦様)の教えをまとめた経典であり、 ・「真実や本質を見抜く力によって、悟りの境地にいたるための大切な教え」という意味がある ・ 何事にも捉われず、既存の価値観に縛られず、表面的な現象ではなく物事の本質を知ろうとすることの教え ・中心にあるのは「空」の思想で、ものごとには「実体がない(定まった形がない)」ことを意味しており、 「全ての物事は変化し続ける」そして「変化し続けるが、物事の本質(核)は変わらず存在する」ということを伝えている。
その中にはこんな言葉があります。 照見五蘊皆空(しょうけんごうんかいくう) 度一切苦厄(どいっさいくやく) 舎利子 色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき) 色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)
『人は「私」というものが存在すると思っているけれど、実際に存在するのは体、感覚、イメージ、感情、思考という一連の知覚・反応を構成する5つの集合体(五蘊)であり、そのどれもが私ではないし、私に属するものでもないし、またそれらの他に私があるわけでもないのだから、結局どこにも「私」などというものは存在しないのだ。』
何度読んでも意味が分からなかったのですが、科学的な視点から見れば 「単一の機能としての自己」は存在しないということなのではないか、ということみたい。 ある哲学者の言葉に、 『個人が感情と意志を持っているのではなく、感情と意志が個人を作り出しているのだ』 というものがありますが、まさにこういうことかと。 仏陀はこのことに気づいていたということなのでしょう。 仏陀はこのことがわかったから「苦」から解放されたと話しており、個人的にはおもしろい発見でした。
7. どんな使い方ができる?
こう考えると、 ・本当の自分とは何かを考えよう! ・自己分析をしよう! などという世間のありがちなアドバイスに疑問を感じます。 しかし、自己分析が無駄か、というとそうではありません。
自己分析によってわかることは3番の要素の、 3. 【人生で起きた事実に関する意味付け】:自分の人生に関する事実の意味論的知識(ex)留学したことをきっかけに、海外に臆することなく行けるようになった、という意味付け) 【事実の把握】:自分は25歳だ、とか私は日本人だ、と認識する機能 この3の意味付けのプロセスだと考えます。 例えば、 ・この仕事をする私にとっての意味は何だろう? ・どうして私はこの仕事に就きたいと思ったのだろう? ・私がこの決断をしようと思ったのはなぜだろう? こういった自己分析を行うことで、自分の行動への意味付けができます。 意味付けができると物事が「明らかに」なりますよね。わかるということです。 人間はわからないことが不安ですし苦痛になります。 しかしそこの意味付けができることで「わかる」「明らかになる」ため、不安が晴れて 自分自身の選択や決断に理由が持てるようになります。
その選択が時には「自分らしさ」という感覚を生むことにもなるでしょう。 (何度も言いますが、自己という単一の機能が存在しない時点で、自分らしさというものも幻でしかないのですが。) なので自分探しの旅に出る人がたまにいますが、これは大きな検討違いなのですね。 つまり、 自分らしさは「自分の決断や選択」によって生まれる(決断や選択の解釈によって自己を作り上げている)のであって、 「本当の自己」というありもしない存在が、決断や選択をしているわけではないのです。
自分とは何か?といった自己に関することで悩んだ時には この考え方に立ち戻ることで、少しでも心が楽になれば幸いです。それでは。