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“scholarly primitives” について John Unsworth がどのような文脈で使用しているのか、もうちょっと解説がほしい。これだけだとよくわからなかった。
[第3段落] ”scale" という jargon は使ったことがないので、よくわからなかった。
全体要約的なことは省略し、読んだ感想をつらつらと書きました。 コメントの方は任意にいくつか拾っていただければ。
本源的に叙述的で、また、個別性が高い史料を複数使い分けてデータ化可能か 専門家が協力したとしても、結局原理的に困難な場合が普通な気がする 少なくとも一定の同質性が必要条件のように思われ、叙述的研究より多様な史料に依存すると一概に整理しうるのか疑問。数量的な研究はともかくも、複雑な叙述的な表現をビッグデータにする手法が現実的とは思えないし、批判に耐えられるようになる未来が見えない。
全体的に考えていたことを理論的に補完してもらった感じで、その通りだと思う。公文録での研究で自分がやろうとしたこと(全体像とトレンドを量的に把握したうえで、別の叙述的研究と対照する)の理論的背景ができて良かった。全体像を検証することで時代区分論に影響を与えるという論点や、個別研究が進展したという点、経験的なトレンド論を量的に確定できるという議論は興味深い。他方複雑な解釈レベルにほとんど到達していないという限界を明言しているのも好感が持てた。
結局方法論を重視した査読ということは「情報学」であって、「人文学」は従なのかもしれない。内容的革新性から論文になっている事例はあるのか?査読の困難さはどちらにもある気がするが、この指摘は歴史学の困難さを強調し、情報学側の困難さや問題点に議論が及んでいない。
全体として量的分析に集中していて、史料の希少な時代の想定や事例がほとんどない。解釈できないという点と合わせて古い時期は既に諦められているのか?何か有益な展望はあり得るのか。正直近代史・アメリカ史を前提にしすぎている感がある。いずれにせよ、地域や時代を超えてどこまで普遍化しうるのか?
・DHisの方法論として認識されているもの :テキスト・空間・ネットワーク分析 ・DHisでは、史料をデジタルデータに起こし、説明用のモデルに還元する(単純化) :この段階で、余計なもの(自分の議論に必要なもの以外)を削ぎ落とす ・しかしこの営みはアナログの世界でも同じで、作成されたデータセットはジャーナルで批判的に検討されるべき :デジタルプロジェクトも同様。新たな表現手法の提示があるとしても、根本的な表現モデルはアナログもデジタルも同様で、モデルと歴史叙述に依る。 新たに可能にしたもの:3Dモデルやビデオゲーム ・Computational historyとDigital history *Computationalは手法に特化したイメージ? ・アナログな歴史学では研究ノートだけだったのが、 Computational historyではコード、データ、ドキュメント、その他の成果物(artifact)が解釈を助ける
→ピアレビューに活きる。だから「活用できれば」強い味方になる。でも評価方法がわからないから困惑を持って受け取られることも。 *これは「科学」としての歴史学を模索する姿勢。 cf. E.H.カー『歴史とは何か』
歴史は事実としての客観性は保証できない、この点では自然科学と異なる。しかし、歴史家の解釈との関係性において、客観性は成立する。
アナログな歴史学との関わり合い
・歴史的な議論を総合するための新しいパラダイムを提案することもできる、という部分はあまりよくわからなかった。 Q. 多量のデータを扱えるからlongue duréeを把握できるとはどういうことでしょうか? 私は、Computational methodが扱える範囲はデータの均質化が可能である範囲に限定されると思うので、長期持続を明らかにできるほどの深い分析は難しいのではないかと思います。
倫理面の配慮
・Computational historyには、歴史家だけでなく多くの人が携わることがほとんど →共著が必要になることもある 手法がどのように機能しているかを慎重に「理解する」必要があるし、 アルゴリズム、データセット、モデル適用に当たっての事前準備の作成者のバイアスがプロジェクトでの使用に与えるインパクトがどれほどのものかを慎重に推し量らなければならない。
前半は、アナログとデジタルの比較 後半は、分業して行うプロジェクトに対する注意喚起という側面もあるのでは? 歴史家が、手法としてのComputational methodを理解しなければ、 ピア・レビューを助けてくれるコードやデータ、その他の成果物をうまく使えないし、評価もできない また、自身の研究に関わるアルゴリズムやデータセット、モデルを無批判に受け入れるだけでは、 そこに存在するバイアスによって、解釈が歪められたり、妨害されたりすることもあるかもしれない。 Computational historyは、自身の研究に使うか使わないかの選択は自由だけど、 知らなければならない段階には来ている。 なぜなら、自分がたとえ「プログラミング」を使わなくても、 表形式データを扱ったりはするわけで、それはComputationalの段階が違うだけであるはず。 それを評価しなければならないことは十分にありえるから。
←このチャプターの論点はつまり自分の手でやるってこと?
Intro
パラグラフ1, データとの付き合い方・整理の仕方を自分で判断する
パラグラフ2, fn16は面白い論点?既にやっている?
representational models: interesting
パラグラフ3, できることとできないこと
できること;correlation, resemblance, or proximity
できないこと;causation and experience←これなに?
パラグラフ4, 3のできることの例として特に強力なもの;textual, network and spatial analysis.
←?esp why previously neglected sources? text analysisの話?
パラグラフ5, p15 l3 fn18の後の例は、近代以降のそれまでとの出版物との付き合い方が変わるほどの、膨大な数と付き合うときには有効。近世、特に17世紀までの世界ではここまでは必要ない?またこの新聞の例はイギリスだからという特殊な状況もあるだろう。
text analysis
一旦根本に振り返って考えてみると、text anaysisってやってる事自体は手でやるのと何も変わらないし、その検索性の高さだけで使う理由足りうるのかな? TEIと一緒に使うことにより有用性が出るような気がするが、あまりセットでは語られない?
特に近代以前の文学史や思想史、哲学史的なテクスト内在的な分析をする人たちはどのようにDH的なtext analysisをしているのか。
Computational digital history and historiographical conversations
パラグラフ1, p19 l7 ’a coherent argument’具体的にはどのようにcoherentに?
パラグラフ2, publicationは今まで通りの方法、しかしその評価
パラグラフ3, ←2へのカウンターとして。
今のdigital historyのpeer reviewの仕方は?Git?
Implicationsfor analog history
important checkということはアナログが前提?
見えない世界を見せてくれる:representativenessという奇妙な言葉。「どれだけ表象することが可能か」って感じ?
Ethical considerations
2パラグラフ, このチャプターの最初に提示していた「データセットをどのように作るかを判断する人間」という論点に返ってくる。確かに、自分の個人的な実体験としても誰かとワークする必要が、常に他者の視線を得るために必要かなと思う。技術的に入り込む際に、そのバイアスなどへの疑問を持ってくれる人間は不可欠。
デジタル・ヒストリーやコレクション、データセット、パブリック・ヒストリーが、
これまでの歴史学で論じられてきた事柄やその枠組みの中で、
かつ、既存の歴史学(収集→精読→論証など)と同じ過程を得て生産されているのにも関わらず、いまだに(雑誌・本が議論の主戦場となる)論壇で取り入れられることが少ない。
結果として、デジタル・ヒストリーが歴史学への解釈的な貢献に関して期待外れであるという認識が蔓延している。
[^1]: UnsworthはPrimitivesを「あらゆる学術活動において」、「基本的な機能」と定義していて、その中にはDiscovering, Annotating, Comparing, Referring, Sampling, Illustrating, Representingが含まれると論じている。John Unsworth, “Scholarly Primitives: What Methods Do Humanities Researchers Have in Common, and How Might Our Tools Reflect This?” In Symposium on Humanities Computing: Formal Methods, Experimental Practice 13 (2000), accessed April 24, 2019, http://people.virginia.edu/~jmu2m/Kings.5-00/primitives.html.
Argument:ネイティブスピーカーに聞いてみた所、おそらくデジタル・ヒストリーに関して議論1、2、3…と様々な形の議論がある、というよりは、「どうやって議論をするか」という実践的ニュアンスがあるそうで、そういった意味で単数なのではないかということです。
歴史とはなにか的な議論をある程度、暗黙の前提にしてる感があるような気がする。
William G. Thomas III and Edward Ayers, “The Differences Slavery Made: A Close Analysis of Two American Communities,” American Historical Review 108, no. 5 (2003): 1299-1307.の画期性、現時点での応用可能性、またその後しばらく同様の試みが続かなかったのはなぜか(公開する場か、研究者側の能力か、そもそも利便性が無かったからか)あるいはどう評価されてきたのか。デジタル公開後、しばらく経過してからのアクセスを保証できるのか、(対応フォーマット、リンク)紙媒体のアクセスの方法が大きく異なることが、研究者がデジタルを引用しない理由の一つとして考えられるが、どう解決されるのか。
Arguing with Digital History Working Group (2017). Digital History & Argument White Paper – Roy Rosenzweig Center for History and New Media. https://rrchnm.org/argument-white-paper/ (accessed 17 February 2018).
2018年のToDHシンポジウム総論においても、既存の歴史研究におけるプロセスとDHisにおけるプロセスの比較を行いました。その際は、日本史を主な射程に収める以下のような文献を参照しました。
これらに加えて、John Unsworthや本論文のプロセス論は、DHisがどの段階で有効か、という話の整理に有効だと思います。
Exercise: DHisは下記のステップ(山中さんの訳参照)のうちどこで役立ちそうですか?役立つとしたら、関連する具体例はありますか?
Discussion 1: 昨今、日本でもDHisに関連するポスト自体は増えてきていると思いますが、DHisを実践する研究者として、自分の専門に限らず、どのような強みがあるとアピールできると思いますか?
Discussion 2: ではポストに就いた後、将来的にどういう動きをTokyo Digital Historyは主導していけるでしょうか。実現したいことはありますか?研究入門の執筆?学術誌の発行?研究センターの設立?雇用の創出?教育用シラバスの開発?etc...
関連論点として、DOI、リポジトリ、オープンアクセス
Discussion: オンラインで閲覧することを想定したデジタル成果物(動画・Dynamic HTML・広い意味でのゲームなどユーザが探索・体験するコンテンツ)の長所と短所は何でしょうか?
史実や歴史解釈の伝達は、語り手による一方的な「語り」でなく、オーディエンスが歴史を「体験する」ことによっても実現されるようになってきています。例えば、インタラクティブなWebインタフェース上での地図や年表の可視化、3Dプリンタや文化財のデジタル複製など、歴史研究者は新しい成果発信の手段を得たと言えます。
Discussion: DHisによって初めて社会にアウトリーチできるようになったことがあるとすれば何ですか?そこにはどのような懸念事項がありますか?
Are we discussing about https://rrchnm.org/wordpress/wp-content/uploads/2017/11/digital-history-and-argument.RRCHNM.pdf in https://rrchnm.org/argument-white-paper/ ?
Yes, thats right
Thanks. We should write links to the resources to discuss when we create an issue.
Arguing with Digital History Working Group (2017). Digital History & Argument White Paper – Roy Rosenzweig Center for History and New Media. https://rrchnm.org/argument-white-paper/ (accessed 17 February 2018), pp.15-16.
デジタル化史料の膨大なコーパスをキーワード検索にかけるという形で歴史研究の実践は変化
ただしキーワード検索自体、アルゴリズムに依存しており価値中立的なものではない
歴史家がテキスト分析によく用いるアルゴリズムはtopic modeling、word embedding、あるいはテキスト再利用の同定といったもの
特に技術的な部分について ざっと検索して出てきたものなので、もっといいのがあればご教示いただきたいです。
確かに、TEIをはじめとするマークアップ言語はテキスト解析とあまり相性がよくないと指摘されることがあります。例えば、Sinclair & Rockwell(2016, p. 280)は、テキスト解析をしようとする研究者の一番初めの仕事は「タグを除去することだ」と述べています。
この理由は、歴史研究の観点からはTEIがコンテキスト分析に適していることに起因していると思われます。テキスト解析では単語それ自体の出現頻度や他のどのような単語と一緒に用いられるか(共起情報)を計量的に分析し、テキストコーパスにおける語の使用傾向を把握するのに役立つ一方、TEIはテキストコーパスにおける単語・句・文が持つ意味・解釈をデータとして取り出せるようにします。歴史研究の観点から一般に重視されるマークアップ実践は、人名や地名、イベントなどを表す固有表現(Named Entities)にタグ付けすることです(Vogeler, 2019, 3.3 TEI and semantic markup)。この点において、TEIが得意とするのは、単語そのものの使われ方というよりは、それぞれの単語が表す社会的・空間的・時間的コンテキストを浮かび上がらせることなのではないかと考えられます。
実際、TEIがこのようなコンテキスト分析に有用である例は多く見られます。典型的な例として、TEIはデジタル・アーカイブにおける高度な検索機能を提供できることが挙げられます。19世紀のカナダ植民地総督とイギリス本国政府との間の書簡をTEIでマークアップしたColonial Despatchプロジェクトでは、書簡の差出人や受取人、言及される地名に基づいてデータセットを検索することができます(Holmes & Shortreed-Webb, 2011)。 コンテキスト情報の可視化に特化した例としては、シェイクスピア著『ハムレット』の戯曲において、どの登場人物がどのような状態で登場しているのかを示したチャート(https://www.folgerdigitaltexts.org/Ham/charChart )が挙げられます(永崎, 2019, 140頁)。
ただし、テキスト解析とマークアップ言語の双方を活用することもできます。例えば、Mason(2015)は、DH分野で著名なテキスト解析ツールであるVoyant Toolsを活用するにあたり、シェイクスピア著『ロミオとジュリエット』のTEI/XMLファイルを用いたテキスト解析演習を提案しています。ここで紹介されているVoyant Toolsの利点は、発話者を区別した状態でテキスト解析を行えることです。
この例においても、やはりTEIの利点は単語が用いられるコンテキストを設定できる点にあると思われます。すなわち、ある単語がどう使われたのかを分析するにあたり、「誰がいつどこで」という場面・状況(コンテキスト)を補完できるのです。
樋口耕一 (2017) 計量テキスト分析およびKH Coderの利用状況と展望. 社会学評論. [Online] 68 (3), 334–350. [online]. Available from: https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr/68/3/68_334/_article/-char/ja (Accessed 7 May 2019).
なお、この論点自体は、ネットワーク解析とも親和的である(Perer, 2010)⇒精読する箇所を計量的に定める
Perer, A. (2010) ‘Finding Beautiful Insights in the Chaos of Social Network Visualizations’, in Julie Steele & Noah Iliinsky (eds.) Beautiful Visualization: Looking at Data through the Eyes of Experts. Sebastopol, CA: O’Reilly Media. pp. 59–68.
+「あたりをつける」や「気づきを得る」は、ものたりない
勉強会のテキストを読んだだけでは結局のところどう歴史研究に活かせるのかわからなかったので、 参考文献として挙げられた『ビューティフルビジュアライゼーション』(以下BVと略します)を含めてコメントします。
全体の感想としては、DHの文脈でネットワーク「分析」が意味する範囲を知りたいと思いました。 (以下は読みながら考えたことなので、テキストから離れている部分もあります。)
DHのテーマとしてネットワーク「分析」を扱う場合、図示の他にはどのような分析を指すのか? (ネットワーク分析自体はデジタルな手法を用いずとも歴史家は実践してきたが、このアナログなネットワーク分析と今提案されているデジタルなネットワーク分析は何が違うのか?何を変えるのか?)
例えば、教材で挙げられた「文芸共和国」の例からは、DHでのネットワーク分析による恩恵をそれほど感じられない
図示という点にDHとしての価値を見いだすのであれば、データの均質性が問題になると思う
ネットワーク分析とは、そもそも定量的なデータを持っている歴史研究者だけが用いることのできる分析手法なのか?
BVには他にも、「ネットワークのビジュアライゼーションは(中略)プレゼンテーション用に作成されるのが一般的であり、探究的な分析のプロセスの中でビジュアライゼーションが必ずしも利用されているわけではありません」(p.152)とある
ネットワーク図の「解釈の多義性」は、強みでもあり、弱みでもあると思う
それから、これは将来的には解決されるかもしれない(解決してほしい)が、紙ベース、モノクロベースの論文誌では、図示できる範囲は相当に制限される
これらを考えてみればみるほど、このテキストのネットワーク分析が指すもの、そしてそれを採用する意義がわからなくなりました。 歴史研究者に対してDHの手法としてネットワーク分析をアピールするとき、強みになるものとは何になるのでしょうか。
あとこれは読みながらというか、この1年ずっと考えてきたことなので、勉強会でも度々話題に出していますが、 「DH的手法は「気づき」以上のことをもたらすのか、新しい何かを明らかにするのか」という問いに対して、もしかして「気づき」のその先を求めるのは歴史研究者の傲慢なのではないか、と感じるようになってきました。 というのも、史資料や表など、これまで歴史学の叙述を支えてきた「材料」は全て「気づき」をもたらすもので、歴史研究者の仕事はそれらを解釈し、「調理」することだと思うからです。 その点から、ビジュアライゼーションだけに「気づき」の先、解釈に関する要素を求めるのは不適切で、その心理は近年のAI万能説(?)を唱える心理と似ており、得体の知れないものに対する畏怖の念が働いているだけなのかもしれない、 と思うのですが、皆さんのお考えはいかがでしょうか。 「気づき」のその先を求めないのであれば、テキスト分析も、ネットワーク分析も、空間分析も、DHで行うことはこれまでと特別変わることはなく、分析や図示を助ける補助的な道具として、編集を容易にし、再現性を高める効果があるだけで十分意義があると思います。 上で述べたコメントと矛盾するようですが、今回の勉強会で3つの分析手法すべてを一通り扱い終わる予定なので、こちらも合わせて皆さんにご意見をいただければありがたいです。
単なるマッピングとは異なる
空間分析とは、理論を通じた概念的な分析として行われるにせよ、統計的計算を通じた実証的な分析として行われるにせよ、歴史的プロセスにおける空間と場所の役割を考察するものである。
フレデリック・ジャクソン・ターナーのフロンティア理論からウィリアム・クロノンのNature’s Metropolisなどの著作も基本的にはデジタルでなくとも空間的なものである。
デジタル・ヒストリアンは、地理や地域がいかに歴史的プロセスを形成したか理解するために位置情報データを計算することによって、いかなる時でも空間分析を通じて議論を作り上げる。
例:Example: “Seeing Space in Terms of Track Length and Cost of Shipping” (http://railroaded.stanford.edu/)
Algeo, Katie., Ann Epperson, and Matthew Brunt. “Historical GIS as a Platform for Public Memory at Mammoth Cave National Park,” International Journal of Applied Geospatial Research 2, no. 4 (October-December 2011): 19-37. Bodenhamer, David., John Corrigan, and Trevor M. Harris., eds. The Spatial Humanities: GIS and the Future of Humanities Scholarship. Bloomington: Indiana University Press, 2000. —, eds. Deep Maps and Spatial Narratives. Bloomington: Indiana University Press, 2000. Gregory, Ian N., and Alistair Geddes, eds. Toward Spatial Humanities: Historical GIS and Spatial History. Bloomington, Indiana: Indiana University Press, 2014. Greengrass, Mark., and Lorna Hughes, eds. The Virtual Representation of the Past. Farnham, England: Ashgate, 2008. Guldi, Jo. “What is the Spatial Turn?,” Spatial Humanities: A Project of the Institute for Enabling Geospatial Scholarship. http://spatial.scholarslab.org/spatial-turn/. Knowles, Anne Kelly., and Amy Hillier, eds. Placing History: How Maps, Spatial Data, and GIS Are Changing Historical Scholarship. Redlands, CA: ESRI Press, 2008. Least Heat-Moon, William. PrairyErth: (a Deep Map) (Boston: Houghton Mifflin, 1991). Nieuwenhuis Marijn., and David Crouch. The Question of Space: Interrogating the Spatial Turn between Disciplines. New York: Rowman & Littlefield International, 2017. Robertson, Stephen. “Toward a Spatial Narrative of the 1935 Harlem Riot.” Dr. Stephen Robertson (blog), October 28, 2016, http://drstephenrobertson.com/presentation/toward-a-spatial-narrative-of-the-1935-harlem-riot/. Warf, Barney., and Santa Arias. The Spatial Turn: Interdisciplinary Perspectives. New York: Routledge, 2009. White, Richard. “What is Spatial History?” Stanford University Spatial History Lab, February 1, 2010. https://web.stanford.edu/group/spatialhistory/media/images/publication/what%20is%20spatial%20history%20pub%20020110.pdf
-概要 ・人・場所・物の関係性を探求するために用いられる ・中心性を有するエンティティや、密度や集中度といったネットワークの特性を示すことができる(中心性にも色々ある。Cf. https://www.logos.ic.i.u-tokyo.ac.jp/~chik/InfoTech12/08%20Masuda.pdf) ・異なる時間(おそらく空間も)ごとのネットワークの在り方を比較、対照できる(福田さんが参照された『ビューティフル・ビジュアライゼーション』8章もこうした事例)
-実践にあたって ・活用例としては交易パターン、テクストの引用関係、社会的紐帯(ネットワーク)など ・ネットワーク分析は、データセットからしてすでにネットワークが存在していることを前提とするため、「ネットワークが存在したか否か」という問題解決には使えない →個々の史料の読解では困難な、ネットワーク中の通時的な習性や行動、関係性の 傾向の変化を明らかにするために用いられるべき ・可視化することによって、逆に統計的な分析の有用性が損なわれることも →可視化はあくまで副次的なものである(Peter, 2016もいうように「ビジュアライゼーションはごく限られた数の洞察しか与えてくれない」)
・本論考を読んで気づいたのは、随所にmathematicalやcomputationalという語が登場していること。結局のところ、歴史学者はどの程度において統計学的手法やネットワーク理論に通じている必要があるのだろうか?(例えばGephiなどはネットワーク理論に基づく分析も直感的な操作で可能になっているが、それでも理論を理解していないと十分に活用できないのでは?) ↑ 長らく、歴史学にとっての「ネットワーク」とは、社会基底としての人・場所・物の不明瞭な繋がりを意味する非常に漠然とした抽象的概念(数理的な理論として考えられていない)であったと思うが、歴史学者が理論を十分に理解しないままネットワーク分析を用いるのであれば、この状況は変わらないのではないだろうか。 ↑ 近年では、歴史学におけるこのような曖昧な「ネットワーク」概念が克服され、確立された一つの分析手法となっているとの言説(Cf. Rollinger, 2017, iii)の是非は?
・17頁の、one of the common practices……is thinking in systemsとはどういう意味なのか?
・データセットを作成する際に、どの程度の範囲で、どのような基準でデータを収集するのかを慎重に考える必要があると感じた。狭すぎれば主観が強まる上に、そもそもネットワーク分析を行う意義があるのか疑問。かといって広すぎても有意義な結果を引き出すのが困難になるのではないか。
・均質性について 属性を捨象してしまうことは歴史学的に問題があるという点には賛成。しかし、歴史学における分析過程を二段階にする、あるいは二重層にすると考えれば、ネットワーク分析自体の意義は保たれるのでは? ↓ Peter, 2016, p. 151によれば、全体におけるエンティティ―間の関係性を描くことと、それらの属性を重視することはトレードオフの関係にならざるを得ない。であれば、両者の間を行き来することがベストでは? 全体的なマス・ネットワーク → 個々の定性的分析へ 個々の出来事、人物の分析 → 全体の中での位置づけを見るためマス・ネットワークへ
*質問なのですが、Excelで並べ替えたデータから個々のエンティティ―の関係性はどの程度見えてくるのでしょうか?
・史料制約について ここでの「定量的なデータ」が質的な意味であれば、ネットワーク分析が個々の属性をある程度無視することによって成り立つ以上、専ら定性的なデータを用いることはできず、定量的なデータが必要になるはず。「定量的なデータ」が、ある程度の総数を有する、という意味の場合、どの程度の規模があれば有効な分析が行えるのか。
・ネットワーク図の論文での使用と多義性について これには、コメントであげた問題、すなわち歴史学者がどの程度ネットワーク理論を理解しているかも関わるのではないか。 ↓ ある程度、理論に関する知見が読者のうちにあるのであれば、図ではなく統計的な分析結果を数値的に示すほうが説得力を持つかもしれない(これは自分も十分に理解できていないのであくまで推論)。
・定性的とクールの意味 「定性的」に関しては、10章でも扱っているように、個々の属性を重視するということ?ネットワーク分析ではこれを犠牲にする代わりに、全体における関係性のパターンを見出しやすくなる。「クール」については、確かに他に言いようはあったと思います。。 *プロットは、ここでは「座標に従って点を打つ」という意味です。
・デジタル―・ヒストリーの内容について これは自分も知りたい。ただ、ご指摘のように、美術史(それ以外でも)では画像データを用いた分析も行われているはずで、IIIFなどの普及を考えると、この3分野ですべてを包括できるわけではないのでは(例えば、陰影を用いた碑文面の再現はテクスト解析、建築の3D再現は空間分析に含まれるのか)。
・定量的な関係性分析としてのネットワーク分析を歴史学の手法の一つとして用いること自体には一定の意義があると思う。しかしこれは、あくまで定性的な解釈との相補的な関係の中で用いる、という条件のもとで活用していく必要があるように思う。ネットワーク分析を行って何か見えていなかったものに気づき、それをもとに史料を読むことで解釈を深める、あるいは史料を読んでぼんやりと見えてきた繋がりやパターンのようなものをネットワーク分析を用いて定量的に明らかにする、といったような。 ・ただし、コメントでも述べたように、データの収集範囲をどのように設定するのかは非常に難しい問題で、慎重に検討すべき。また、ネットワーク理論に対する理解もあるに越したことはないはずで、これらのことを念頭においた上で、自分の研究に用いるか否かを各自で決めていく必要があるのではないか。
Rollinger, C., M. During, R. Gramsch-Stehfest, M. Stark (eds.) (2017), Editor’s Introduction, Journal of Historical Network Research, 1, i-vii. Wetherell, C. (1998), Historical Social Network Analysis, International Review of Social History, 43, suppl., pp. 125-144. McShane, B. A. (2018), Visualising the Reception and Circulation of Early Modern Nuns’ Letters, Journal of Historical Network Research, 2, pp. 1-25. Winterer, C. (2012), Where Is America in the Republic of Letters?, Modern Intellectual History, 9-3, pp. 597-623.
20190706勉強会 Network analysisに関する事前コメント(A.Kokaze)
「DH的手法は「気づき」以上のことをもたらすのか、新しい何かを明らかにするのか」という問いに対して、もしかして「気づき」のその先を求めるのは歴史研究者の傲慢なのではないか、と感じるようになってきました。
という意見をみて、考えさせられました。考えたことをメモしてみます。
まず、
というのも、史資料や表など、これまで歴史学の叙述を支えてきた「材料」は全て「気づき」をもたらすもので、歴史研究者の仕事はそれらを解釈し、「調理」することだと思うからです。
「歴史研究者の仕事は、「材料」(=史資料)を「調理」(=解釈)すること」というのはその通りで、自分が「気づきを得る」にもの足りなさを感じていたのは、この解釈の作業をデジタル技術に期待してしまっていたからなのかも、と気づきました。
次に、歴史の研究には、デジタル技術を適用できる領域とできない領域があって、それをできるだけ明確にすることで、この種の議論が進むではないかと思いました。適用できる・できないというより、デジタルが効果を発揮しやすい場面とそうでない場面があると言い換えてもいいかもしれません。
去年のシンポでわれわれは、歴史研究のプロセスを情報の入手・分析・表現・公開の4段階に大きく分けてみました。この4つのなかでもっとも重要なのは分析だと思います。より狭義の歴史プロパーに訴えるとすれば、分析(に含まれる諸作業)に焦点を絞ってもよさそう。
今われわれがやっている勉強会も、分析をテーマとしてさまざまな議論ができていると思います。
そして、改めて歴史学の手続きとは何なのか勉強する必要があると感じて、遅塚忠躬『史学概論』(東大出版会、2010年)を読み始めました。
『史学概論』116頁では、歴史研究の「作業工程表」として以下の5つの工程をあげています。
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2~4について、かなり簡素ですが、具体例を考えてみました。 ※以前にどこかで聞いた話を参考にしているので、歴史的事実とはみなさないでください ※上にあげた作業工程に十分に対応しているかはあやしいです。現実の作業はもっと複雑だと思います
2-a ある地域の12世紀の封建領主が発行した権利証書群
2-b 12世紀の十字軍に参加した人物が書いた年代記
3-a ある地域の12世紀の封建領主には次男か女性が多い、と気づく(客観的・均質的データ)
3-b 十字軍士にはその地域出身の者が多い、と気づく(客観的・均質的データ)
ここまでは、コンピュータで処理する効果がありそう
4 2種類のデータ(認識された事実)を素材として、事実のあいだの関連を想定する ⇒ 12世紀において、その地域の長男の多くが十字軍に参加した 次男・女性が領主権を相続するケースが多かった
諸事実の意味(歴史的意義)を解釈する e.g. 十字軍運動は、ある地域社会において次男・女性に社会的地位上昇の機会を提供した
諸事実のあいだにある関連を想定すること、諸事実の意味を解釈することは人間がやること
※ しかしデータをそろえるまでの過程にも、デジタルでできないこともありそう たとえば、ある出来事が起こった年について、ある史料では1688年、別の史料では1687年と記録している どっちか正しいのか? ⇒ それぞれの史料の書き手が、異なる暦を使っていたので、西暦で考えれば実は同じ年のことを意味していた、とか? 書き手の文化的背景を考慮して史料批判することは(つまり年の数え方のちがいに気づくことは)、人間のやること あるいは、すでに校訂された史料の場合ミスの可能性もある...
『史学概論』132頁(歴史学における主観性と客観性の問題、という文脈で)
「歴史学は、...諸事実の間の関連を想定しつつ、事実の意味を解釈するのであって、....歴史学の営みのいわば本領がここにあることは、多言を要しないであろう。」
・・・・なるほど、という感じ。
「気づき」のその先を求めないのであれば、テキスト分析も、ネットワーク分析も、空間分析も、DHで行うことはこれまでと特別変わることはなく、分析や図示を助ける補助的な道具として、編集を容易にし、再現性を高める効果があるだけで十分意義があると思います。
研究上の作業における効果以外にも、みせ方とか教育効果などもあげることができそうです。 研究において、「再現性を高める」こと以外にどのような効果があるのか、それらは歴史研究の何をどのように変えることになるのか、あるいは表面上は何も変わらないのか、といったことはまだまだ考えなければならないと思いました。
担当章のコメントや発表内容を、マークダウンファイルで投稿してください。 Arguing with Digital History Working Group (2017). Digital History & Argument White Paper – Roy Rosenzweig Center for History and New Media. https://rrchnm.org/argument-white-paper/ (accessed 17 February 2018).